谷本眞一校長先生のラスト1年間(+退職後しばらく)の言葉を集めました。
人権教育・生徒指導・脳科学・教師学・子育てなどなど、多岐にわたり、お話がたくさん載っています。
じっくり楽しんでください。
記念誌『雲外に蒼天有り』は青色です。これは空の青色を表しています。私が深津小学校に来た時には、大変なこともいろいろあり、天気はドシャ降りでした。青空は見えないような状態でした。ところが、深津小学校・深津中学校の先生のおかげで青空が見えるようになってきました。
≪7月23日兵庫県教育功労者表彰記念イベントで≫
片手運転は・・・ダメ
ジグザグ運転は・・・ダメ
≪7月19日1学期をふり返る会に自転車に乗りながら乱入して≫
しょっちゅう子どもたちと出会っています。今は自分にとって、ぴったりの所に勤めさせてもらっていると思っています。保護者の方たちのきずなが切れそうになったら、いつでも結びに行きますよ。
≪6月27日地域主催のお別れ会で≫
深津っ子が好きだから、ここで退職することにしました。
これまで、3つの力と心を持てばナンバーワンの学校になると言ってきましたね。おぼえていますか? 復習しましょう。
3つの力は?
ふ…ふれあう力
か…考える力
ず…ずっと続ける力
3つの心は?
ありがとうの心…しあわせになれます。
素直な心…人が認めてくれます。
戒めの心…よりよい、より高い自分になれます。
これら3つの力と心を持つことができれば、立派な大人になって成功します。
地域の方、保護者の方にも支えていただきました。ありがとうございました。楽しかったです。
≪4月13日離任式で≫
・「燃えて とことんかかわって 心を入れて そして、変えて 如何とかせん」の合言葉は大切にしてください。
・銀行の職員の方に「深津小学校の校長先生をされていたのですか? この地域の担当をしているのですが、深津小学校は先生たちがすごいと聞いていますよ」と言われました。深津小学校のがんばりは、銀行の一職員の方にも知れ渡っているのです。
≪4月13日朝の職員打ち合わせで≫
新しい職場では、上司の指示に従い、おとなしくちょこんと座っています。
深津小学校に何かあったら、すぐに動きます。
≪4月5日送別会で≫
ありがとうございました。これにて退勤します。
≪3月31日から日付が変わる時に≫
退職でたくさんの感謝状をもらいましたが、こんな大きな感謝状はもらったことがありません。家に大事に飾っておきます。
この日がくるとは思っていませんでした。ここまでくることができて、感謝の気持ちでいっぱいです。
退職後、一番したかったのは親孝行です。親元近くでゴルフに関係する仕事をしたいなと思っていました。でも、深津小学校校区内で仕事もしたかったのです。
次の山根弘昭校長先生は、必ずみんなの中に入ってくれる人です。安心して任せられます。さらにいい学校になります。みなさん、教育委員会の方たちに感謝しましょう。
私は山梨県の大学の出身で、武田信玄の活躍した場所です。武田信玄は「人は石垣、人は城」と言葉を残しました。深津小学校は難攻不落の城です。人間が団結すれば落とすことはできません。派閥が一つなら大丈夫です。立派な城になったと思います。「燃えてとことんかかわって心を入れてそして、変えて如何とかせん」がある限り、深津城は落城しません。城主が山根弘昭校長先生になってくれて、とてもうれしいです。
「もっとがんばらないと…」でなくてもいいです。ふだん通り仲よくやってください。困ったことが起きたら、みんなでやればいいのです。
ここまでこれたのはみなさんのおかげです。みなさんが支えてくれたからです。ありがとうございました。
≪3月31日深津小学校を退職する方を送る会で≫
警備員さんは、12年もの間深津小学校で勤めてくださいました。今いる教職員の中で一番長いです。いつも、まず外側から点検し、次に内側から見ていきます。カギはすべて確認し、閉めてくださっていました。ゴミも一つひとつ袋に入れていかれました。
義務ではない仕事を自分からどんどんやってくださいました。落葉集めは本当に大変だったと思います。
特に大変だったのは、土日だと思います。いろんな人がやってきますが、その人たちに対応してくださいました。やんちゃな子がやって来ても対応してくださいました。先生以上に子どもを叱ってくださいました。
地域の人たちも警備員さんの働きぶりをよく見ていたし、よく知っていました。
深く感謝します。
≪3月31日深津小学校を退職する方を送る会で≫
私の願いが叶った人事でうれしく思います。
≪3月25日夕方の職員打ち合わせで≫
・1年間ありがとうございました。学校は子どもがいないと学校になりません。将来の日本を背負っていく子どもを育てる仕事を、私たちができることをすばらしいことだと思います。それは、事務室・用務員室・給食室・職員室と、それぞれの職種で子どもを育てていくことです。
・私たちが一番大切にしてきたのは、職員室前方に掲げている「燃えてとことんかかわって心を入れてそして、変えて如何とかせん」だと思います。何かするぞという決意の合言葉だったと思います。
・深津小学校の子どもたちも保護者たちも、「ありがとうの心」を持てるようになりました。これは思いやりにつながります。給食最終日に「おいしい給食1年間ありがとうございました」とお礼が言えていたのは、調理員さんたちが暑い日も寒い日も一生懸命作ってきたのと、そのことを先生方が伝え続けてきたからです。
・「素直な心」はなかなか難しかったです。これまで注意されて「ハイ」と素直に言えなかった子どもが多かったのですが、それが変わってきました。これも指導のおかげです。
・「戒めの心」「思いやりの心」「学びの心」はこれからさらにつけてやらねばならない力です。事務室・用務員室・給食室・職員室のみんなで総力を挙げて力をつけてやりましょう。
・いかに義務以外の仕事をできるかが、組織の力です。授業をしっかりやることは当たり前のことです。それ以外に、例えば、子どもについての情報交換をしたり、子どもと一緒に遊んだりといった、義務ではない仕事をどれだけできるでしょうか? これから、深津農園の手入れは、私がいなくても子どもたちの学習に役立ててやってください。勤務終了後の夜に公民館で行われている各種の学習会にも、ぜひ参加し続けてください。
・最後の話だと思うと力が入ります。本当にみなさん、よろしくお願いします。
≪3月25日昼の職員打ち合わせで≫
・PTAの手芸クラブの方が作った「ふかまるくん」のバッジを、PTAの方からプレゼントしていただきました。とてもうれしいです。
・校長先生がみんなにお話しするのは今日が最後です。姿勢を正して聞きましょう。今日は、3つの心の話をします。
・1つ目は、「有難うの心」を深津っ子は持てるようになりました。今朝も校長先生に「○年間お世話になりました。ありがとうございました」と言ってくる子がたくさんいました。また、ありがとうのお手紙をくれた人もています。1階の廊下の所に「ありがとうの心を持てば…」の詩があります。ありがとうの心を持てば、みんな幸せになれます。
・2つ目は、「素直な心」を深津っ子は持てるようになりました。先生に注意されたら「ハーイ」とすぐに返事をし、言われた通りにできています。それが、自分の力を伸ばすことになります。
・3つ目は、「戒めの心」ですが、これはまだ持てていない人がけっこういます。「〜しなければならない」とか「今は〜してはいけないときだ」と自分の心の中で言って実行していくことです。校長先生は、「心だに誠の道を守りなば祈らずとても神や守らん」という戒めの言葉をずっと守ってこようとしてきました。当たり前のこと、正しいことをしていたら神様が自分を守ってくれるという意味の言葉です。この言葉を校長先生は「座右の銘」にしてきました。「戒めの心」を持てるようになると、立派な人間になれます。だから、大きくなるに従って座右の銘が持てるようになってほしいと思います。
・以上の3つの心を大切にして「市内ナンバーワン」の深津っ子になってほしいと思います。できますか?「ハーイ」の元気な子どもの声。
これで私の最後の話を終わります。
≪3月25日修了式で≫
・今日は終業式ではなく「修了式」です。その違いを子どもたちに話し、きちっとした式になるよう、教室で指導してから体育館へ入れてください。
・6年生が卒業してからあいさつのカウントはしていません。でも大きな声でほぼ全員あいさつを続けられています。「また来年もがんばりな」と子どもたちには伝えています。
≪3月25日朝の職員打ち合わせで≫
・二人の先生が「形にはめるのは…」という話と「集団の規律をしっかりさせて…」という話をされた。これは一見矛盾しているようだが、実は矛盾していない。
・子どもを変えるペースには、先生が子どもを好きであるということがある。子どもの心をつかむのに授業で勝負ということもあるが、それまでに見えないようなペースがある。そこの段階まで行っていない子もいるのが現状である。たとえば、集団行動がしにくかったりする子どもがいるが、そのような状況が、私が深津小学校に来た時にも見られた。みんなが動きを止め、集団行動をしっかりできるならば、みんな話を聴けるので、話の中身で勝負できる。
・「しんどい」というウソの言葉で保健室へ行っていた子はいなかったか? それは親や先生の甘やかしが裏にあると思われる。それでは、健全な自尊感情が育てられない。
・ヒトの脳を考えた時、新皮質までいくと人としての力を獲得したと言える。ヒトとしての能力を獲得するということは、子どもの発達を保障することなのだ。
・子どもの行動も、無意識のレベルを意識のレベルに変える必要がある。例えば、「○●するなら出ていきなさい」と言われて教室をすぐに出ていってしまう子がいるとする。その子は、家でそのようなことを言われてもすぐに出ていくだろう。それは無意識にしているレベルである。それを「こういうときには、すぐに出ていくのではないよ」と教えて意識させ、「今度からは出ていきません」と決意させ、さらに「こうすることが将来の幸せにつながるんだ」「将来に向けてがんばろうな」ということも話してやることが大切になってくる。
・「めのか」や「聴くポスター」や集団行動のような自己コントロール訓練をしていくのはたやすいが、無意識のレベルを意識のレベルに変えていくのはなかなか難しい。心ここにあらざれば、見えども見えず、聴けども聴けず、食えども味わえず。クセを直すのは難しい。本当は心を直してやりたいが、まず外から形から直すようにしていくのがよい。
・扁桃体で「好き」と認識させることで表面上聴いてないように見えても、心で聴いてできるようになっていく。「見つめる、微笑む、話しかける、触る、ほめる」を続けていくと、そのようになっていく。
・外部環境の刺激で脳に変化も起こる。場合によっては性格まで変えてしまうことがある。いいようにもわるいようにも変わる。この「脳の可塑性」は臨界期に起こりやすい。「10歳のカベ」と言われる。
・子どもが「先生大好き」になる前提として、先生が子どもを好きになることが必要である。表面的にしかるだけの先生の言うことは聴かない。子どもに対して「見つめる、微笑む、話しかける、触る、ほめる」を続けていると、しかっても子どもの心に入っていく。
・個人の改善は、決意させ、夢を共有していくことが必要だ。クラスの改善は、ルールを子どもたちと作り、希望を語り合い共有していくことが必要だ。学校の改善は、組織でどうしていくか職員同士で話し合っていくことが必要だ。「〜してはいけない」ではなく「〜していこうな」「いい流れにしていこうな」と職員同士で意志を共有していくのだ。
・人間は一度経験しないとわからない。しんどさを経験したら、しんどくなりたくないからこうしておこうと、手立てを打っておこうとする。これが繰り返される。先生方はずっとこの深津小学校にいるわけではない。他の学校へ行っても立派な学校にしていってほしい。「タンポポは落ちた所で花開く。」
・人間は20歳を過ぎ、50歳を過ぎ・・・と年齢を重ねれば重ねるほど、あほになる。だから、次のようなことをして「結晶性知性」を伸ばしていこう。1、強い目的意識をもつ。2、適切な栄養をとる。3、好きなことをやる。4、芸術家のように右脳を使う。5、できるだけウォーキングに励む。6、積極的に社会とかかわる。7、社会に貢献するという意識をもつ。8、いくつになっても恋をする。
≪3月22日校内研修会校長先生の話を聴く会で≫
卒業式の日、教育委員会と新聞社の方とが取材に来たから、たくさんの記事が載ることを期待していたのに、ちょろっとしか出てなくて、しかも私は後頭部しか写っていなくて残念や。
≪3月22日朝のあいさつ運動をしている途中、一緒にあいさつ運動をしていた教師に≫
教育委員長にも初代校長先生にも、「感動的な卒業式でした」と言ってもらいました。卒業生の呼びかけの中にサプライズがあったが、それをやられると私は、涙もろく弱いのです。天気にも恵まれ、子どもたちの顔も輝いていました。厳しい時代もありましたが、落ちついた卒業式ができるところまでもってこれました。それは、子どもたちが自分たちで変えていこうとする何かがあったからです。それは、先生方の指導のおかげです。
卒業式の「学校長の言葉」は相当省略しました。途中であれをやめようこれをやめようと、話しながら考え、考えながら話しました。
心に残るいい卒業式でした。
≪3月18日卒業式後の昼食会で≫
「自創」の絵が私の後ろに掲げてありますが、これは図工専科の先生に描いてもらったものです。自分をどう創っていくのか、私には私を創っていく責任があるということを表しています。その「自創」の絵に木札がありますが、「心だに誠の道を守りなば祈らずとても神や守らん」と書いてあります。私が座右の銘にしてきた言葉です。
修学旅行の時、「人は何のために生まれ、何のために生きているのか」とみんなに問いました。私は、自分は明日・未来の幸せのために、夢の実現のために生きているのだと思っています。自分の夢を実現させることで世のため人のために役立つ人になるために生れてきたのだと考えています。みんなにはいろんな夢があると思いますが、「どんな大工になるのか」「どんなパテシエになるのか」中身が問われるのだと思います。
昨年の卒業式・修了式でもシュバイツァー博士の話をしました。人は誰でもランバレネをもつことができるという話でした。シュバイツァー博士は、一生を黒人の医療のためにささげた人です。彼は、少年のころ悲しい目をした黒人の少年の像に「ぼくが大きくなったら助けてあげるからね」と約束した自分の夢を実現させ、世のため人のために生きたといえるでしょう。
私も少年のころ学校の先生になりたいという夢をもっていました。そして、学校の先生になりました。苦しいこともありましたが、それを乗り越えられたのは、先ほどの座右の銘があったからです。
シュバイツァー博士は、アフリカのランバレネに自分の目指す場所をもつことができました。私にとって、深津小学校はランバレネの地です。シュバイツァー博士はノーベル賞をもらいました。私は毎日、子どもたちから、笑顔と励ましをもらっていました。ノーベル賞を毎日もらっていたようなものです。さあ、今度は君たちの番です。
保護者の皆様、12年間お子様を育ててくるのは大変だったと思います。「人は人によって人になる」の言葉通り、保護者の皆様の愛情があったからここまで育ってきたのだと思います。これからも深津小学校を支えてください。
来賓の方々には、縁の下の力持ちになってもらいました。子どもたちをいろいろな場面で励ましてくださいました。おかげで、子どもたちが地域の中で輝けるようになりました。中学生になっても見守ってやってください。
さあ卒業生の皆さん、はばたく時です。詩「深津っ子よ」を贈ります。(下に詩の画像あり)
≪3月18日卒業式の学校長の言葉で≫
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